


珈琲遍歴/四季社刊昭和参拾弐年発行
奥山義八郎著「珈琲遍歴/四季社刊昭和参拾弐年発行」扉、「かうひい異名熟字一覧」より店主が復元したもの。ニッカウヰスキーの瓶の挿絵で知られる版画家さんによるものです。
現在日本で使われる「珈琲」の漢字「王偏に加」「王偏に非」、その他、江戸時代にコーヒーがどのように漢字で表せられたかの版画図で昭和時代の純喫茶などではよく見られました。

普段私たちが何気なく使っている「珈琲」という漢字は江戸時代分化十三年(西暦1816年)に考案されたようです。コーヒーは、英語では[Coffee]、ドイツ語では[Kaffee]、仏語では[Café]と表す。エチオピア南西部にあるカファ[Kaffa]という地名に由来。北欧スウェーデンの珈琲タイム「フィーカ」はカフィーを逆さまにした言葉。
前述の熟字一覧内2ー5番の「バン」「ボウ」「ビュニュウ」などについて、エチオピアの多くの地域でコーヒーは、ブンナ[buna]、ブン[bun]、ボノ[bono]と呼ばれており、その由来は、アラビア語の豆を意味するブン[bunn]を表す。
オリジナルの珈琲遍歴。後年、他の出版社より復刻版として増刷されているがこれは原本で著者直筆のサインがある貴重な書籍。令和に入った近年文庫版でも復刻されました。この本によると現在広く使われている「珈琲」という漢字は江戸時代岡山藩の蘭学者、宇田川榕菴によるものです。「酸素」や「窒素」「炭素」、「沸騰」など私たちがよく使っている化学用語やその他用語も宇田川榕菴(著書舎密開宗、博物語彙など)による翻訳で19才の時には「哥非乙説」というコーヒー論文を著しています。
江戸時代の珈琲に関する原本
この写真は200年前に宇田川榕菴が記したオランダ語辞書です。49歳で没するまでの資料を調べると、近代の外来単語翻訳の殆どが榕菴によるものとわかりました。王編に加、非という漢字の「珈」は髪飾りかんざし、「琲」はかんざしを繋ぐ紐を意味するものでもあり、化・科学者、植物学者でもあった宇田川榕菴がコーヒーチェリーの実が枝に付いてる様子を表したものと推測されます。植物学で多大な功績を残したシーボルトとも親交が深かったようです。何故このような偉大な人物が教科書に載っていないのかがわかりません。
Kopyの翻訳として「骨喜」「哥兮」「架非」「珈琲」が手書きで記されています。
当店では珈琲に関する国内外の資料も数多く保有しており焙煎教室などで必要に応じて開示しております。
ちょうど同じ時期のアメリカの珈琲文献より。コーヒーの酸の含有量。開業者向け焙煎教室では日本と海外の珈琲情報の乖離など余すことなく解説いたします。
新発見!明治時代の化学教科書
