2023年12月03日 02:38最新の情報です

珈琲の漢字の語源

珈琲の漢字ってなんでこういう字なの?
元は髪飾り的な意味。珈琲チェリーの実の様子を表したものといわれる。奥山義八郎さんという版画家が表した珈琲熟字一覧には江戸時代に考案されたいろんな漢字候補が残されているけど今一般に使われているのが「王編に加」と「非」。これは江戸後期の岡山藩蘭学者「宇田川榕菴」先生による作字。珈琲以外にもワインを葡萄酒、ビールを麦酒といったこん日の外来語の主だったものを日本語漢字で作り出した偉大な人。

コーヒチェリー

熟字一覧を彫った版画家の奥山義八郎さんはニッカウヰスキーのボトル瓶のオランダ人の絵を描いた人。多趣味でデザイナーでもあったこの人の版画の謄写版資料なんかも持っているよ。熟字一覧は焙煎教室の資料として復刻版を差し上げてます。

珈琲遍歴/四季社刊昭和参拾弐年発行

奥山義八郎著「珈琲遍歴/四季社刊昭和参拾弐年発行」扉、「かうひい異名熟字一覧」より店主が復元したもの。ニッカウヰスキーの瓶の挿絵で知られる版画家さんによるものです。
珈琲遍歴/かうひい異名熟字一覧
現在日本で使われる「珈琲」の漢字「王偏に加」「王偏に非」、その他、江戸時代にコーヒーがどのように漢字で表せられたかの版画図で昭和時代の純喫茶などではよく見られました。

熟字一覧の中で、「コッヒイ」「コーピ」「カウヒイ」などコーヒーの発音があるけどこれらはエチオピアの「カッファ」地方が語源になっているといわれているんだ。エチオピアの「KAFFA」は地図上に示しているよ。この地図はエチオピアの珈琲産地を説明する資料としてザグリ珈琲が作ったもの。地図中SNNPR州の左側にカッファ地方があります。隣のベンチマジには近年ゲイシャ種の栽培で成功したゲイシャビレッジがあるよ。

エチオピアのカッファ地方

普段私たちが何気なく使っている「珈琲」という漢字は江戸時代分化十三年(西暦1816年)に考案されたようです。コーヒーは、英語では[Coffee]、ドイツ語では[Kaffee]、仏語では[Café]と表す。エチオピア南西部にあるカファ[Kaffa]という地名に由来。北欧スウェーデンの珈琲タイム「フィーカ」はカフィーを逆さまにした言葉。

前述の熟字一覧内2ー5番の「バン」「ボウ」「ビュニュウ」などについて、エチオピアの多くの地域でコーヒーは、ブンナ[buna]、ブン[bun]、ボノ[bono]と呼ばれており、その由来は、アラビア語の豆を意味するブン[bunn]を表す。


オリジナルの珈琲遍歴。後年、他の出版社より復刻版として増刷されているがこれは原本で著者直筆のサインがある貴重な書籍。令和に入った近年文庫版でも復刻されました。この本によると現在広く使われている「珈琲」という漢字は江戸時代岡山藩の蘭学者、宇田川榕菴によるものです。「酸素」や「窒素」「炭素」、「沸騰」など私たちがよく使っている化学用語やその他用語も宇田川榕菴(著書舎密開宗、博物語彙など)による翻訳で19才の時には「哥非乙説」というコーヒー論文を著しています。

江戸時代の珈琲に関する原本

この写真は200年前に宇田川榕菴が記したオランダ語辞書です。49歳で没するまでの資料を調べると、近代の外来単語翻訳の殆どが榕菴によるものとわかりました。王編に加、非という漢字の「珈」は髪飾りかんざし、「琲」はかんざしを繋ぐ紐を意味するものでもあり、化・科学者、植物学者でもあった宇田川榕菴がコーヒーチェリーの実が枝に付いてる様子を表したものと推測されます。植物学で多大な功績を残したシーボルトとも親交が深かったようです。何故このような偉大な人物が教科書に載っていないのかがわかりません。

宇田川榕菴自筆
Kopyの翻訳として「骨喜」「哥兮」「架非」「珈琲」が手書きで記されています。


当店では珈琲に関する国内外の資料も数多く保有しており焙煎教室などで必要に応じて開示しております。

coffeeacid
ちょうど同じ時期のアメリカの珈琲文献より。コーヒーの酸の含有量。開業者向け焙煎教室では日本と海外の珈琲情報の乖離など余すことなく解説いたします。

新発見!明治時代の化学教科書

当店には江戸期〜昭和初期の教科書が何百冊もあります。その中から新発見!明治時代、今から100年以上も前の日本の化学の教科書には、珈琲生豆、焙煎豆の水分量、成分含有量など図解入りで書かれています。現代のようにデジタル化学計測機器のなかった時代、タンニンやカフェイン、有機酸などの含有量、生豆・焙煎豆の水分量はどうやって調べていたんでしょう?

明治時代の教科書