堀井謄寫版〜堀井謄寫堂株式会社製
謄写版研究資料の記事です。皆さんは謄写版をご存知でしょうか?90年代に私はとある本を手にしました。その本は丁寧な書き文字で綴られており、私がそれまで見てきたデザインの世界とは全く異なる類のものでした。活字や写植文字ではなく全てが手書き印刷だったのです。著者は若山八十氏。それが小学生の頃に担任の先生がガリ版でわら半紙に刷っていたテスト問題と同じ「謄写版」と呼ばれる手法で作られた書籍だというのがわかり、その文字の美しさに魅了され昔の資料を少しずつ収集してきました。
ガリ版印刷の資料
今からかれこれ七十年以上前、謄写印刷の世界では本は一冊まるまる人が手書きでした。謄写版時代「黒船」や草間京平をはじめとする謄写版名人の作による多くの手書きガリ版冊子資料や、昭和謄寫堂資料など。
赤羽藤一郎による黒船全巻。同時代の名人たちによる手書き文字の美しい世界が広がります。日本孔版同好会発行。
三好進による楷書体製版の本。楷書体の骨格を黄金比や角度を基に驚くほど細かく図解している。
同じく三好進による本。楷書体の描き方から製版の仕方など台割りまでもが詳細に解説されている。
菅野清人による趣味のカメラに関するコラム。これはゴシック体だが、菅野清人は楷書体の名人でもあり1分間に60字(1秒1文字?!)という驚異的スピードでガリ切りしたという。
今から七十年以上前の謄写版書体見本帳には古代文字が紹介されている。現代日本語学では、古代文字は迷信や紛い物の類として処理されており戦後の日本語教育では全く触れられていない。その体系立てて言語化されているデザインは紛れもなく本当に実在した文字であろう。戦前は書体見本帳にある位なので身近にあったのだろうか?
ガリ版時代に各誌で寄稿していたが自著も出している堀口春翠も名人であった。
王冠ヤスリレポートは王冠ヤスリの付録。ヤスリの目の種類が手書きで綺麗に印刷されている。
孔版作品年鑑
1952年から3年間発行された「日本孔版作品年鑑」。全国のプロ、孔版愛好家など昭和謄写堂が募った有志約百人による孔版印刷技術手刷りの作品集。
昭和謄写堂、幅弓之助による後書き。社主自らが美しい手書き。
一八九四年、堀井新治郎氏によって、謄写版が我が国に招来してから六十六年、今日の謄写印刷界は、最も目覚ましい躍進期にあると云うことができましょう。簡易迅速を生命とする卓上印刷器として、上は国会や政府を初めとするあらゆる国家機関から、下は一個人の日常的小印刷物に至るまで、あらゆる階層へ、広く深く浸透したことは驚くばかりでありますが、更に、創作的孔版画等を初めとする特殊印刷物に独自な立場を認められるに至った事は、全く、我が国独特の成果であります。或る者は、この輝かしい成果をもって、謄写印刷技術は、既に一つの限界に到達したーーーと申されておりますが、それは、ともすれば個人的な小成に安じてきた謄写印刷技術が、広く一般大衆のものとして普及されたという意味では正しく、この成果の上にこそ、新らしい技術の探求と、新らしい分野の開拓が進められねばならぬという点に、より強い意義があるものと信じます。私は、半生を謄写印刷業界に送り、その消長を共にして来ましたので、幸に今日の盛運にあい、深く感謝に堪えないものがあります。不敏を顧みずこゝに「日本孔版作品年鑑」の刊行を企図いたしました者は、一にこの感謝報恩の念に発したものでありまして、これをよって、全国孔版界の全貌が一端に明かにされ、将来への躍進に多少とも寄与するところがあれば望外の幸に存じます。尚、一九五二年版の刊行に御協力下さいました皆様に厚く御礼申上げますと共に、この上とも、本年鑑を最も権威あるものとして続刊できるよう、全国孔版界の皆さまの絶大なる御協力御支援をお願いする次第であります。昭和二十七年七月
一人につき一葉の孔版作品。手法や紙、鑢、鉄筆を丁寧に手書き。一ページにかける情熱に魂がこもっています。
黒紙に白インク。1952年なので今から七十年も前の作品である。これらの年鑑に収録されている謄写印刷名人たちで一番若手が前述の小針美男。ほとんどが明治大正生まれですので存命の方はいないでしょう。
1953年版より。原画・女子美の方から受領せしもの/印刷・昭和堂内見習生製作/器械・Z複式昭和版西の内版/鑢・XC、XA/鉄筆・針型、ゴルフ型/インク・昭和堂特製インク。
昭和初期デザイナーやイラストレーターという言葉がなかった手書き時代、印刷物は文字も絵も上手にできる人による一握りの徒弟制度による職人技でした。戦後、商業印刷の効率化目的でデザイナーを育成するための美大や専門学校が普及しました。印刷物作成には、原稿を書くコピーライター、写真を撮るカメラマン、絵を描くイラストレーター、配置するデザイナー、とりまとめるアートディレクターといった分業化による業務形態の変化の中で謄写印刷は衰退していきました。
今ではパソコンがあって内蔵されているフォントを使えば誰でも誌面レイアウトができますが、謄写版時代はごまかしは効かず未熟な者は印刷業に従事できなかったわけです。当時の名人たちの文字の精緻さもさることながら美しい多色刷り孔版画絵柄には驚かされます。明治時代にほぼ完成していた活版印刷の世界とはまた違う、手書きによる人間味あふれる芸術作品。活版印刷界隈からは手書きの孔版印刷業界というのはさげすまれていた時代でもありました。そんな中、草間京平をはじめとする超人たちにより活版を超えるべく芸術的領域にまで達したのが謄写版作品群なのです。
これらは今でいうデザイナーズ年鑑とも云える資料ですがその内容の素晴らしさは現代のパソコンで作られた年鑑がゴミ屑に見えてくるほど鬼気迫った作品群であることがわかります。当時の謄写版名人は現代に生きていれば100歳以上になりますので誰も残っていません。私はそんな偉人たちによる芸術作品を研究中でもあります。
思想、政治的資料
謄写版時代の資料収集において、当時地下で活動を続けていたという共産党のガリ版刷り、戦前の赤旗だけが入手できませんでしたが、この度入手できました。古書店に足げく通ったおかげで見つけることができました。
昭和初期1920年代の手書きによる政治的機関紙。繊細さには欠けますが右肩上がりの力強い楷書系書き文字が特徴です。党員は地下に潜り手書きで新聞を書いていました。この機関誌は1932年四月を境に手書きから活字に移り変わりました。
現代に蘇るフォント
私自身、子供の頃は本を見て、活字を人が書いた文字と勝手に思っていました。大人になれば上手な文字がかけるようになると思っていましたがデザインの仕事に従事した頃は写植文字が全盛期で紙焼きと写植の切り貼りの毎日で、ガリ切りやレタリングの時代ではありませんでした。しばらくデザインの世界に身を置き、製作会社などへの所属経験もありましたがどうにも複数人でデザイン製作をするというのに馴染めず一人で完結しないと気が済まない性格なため会社へ所属するのは辞めました。九十年代頃よりパソコンを使ってフォントを作り始め、様々な文字に触れるうちに明治時代の活字、カナモジカイや謄写版時代の資料などに触れ初めて鉄筆で彫られたガリ切り文字を知るようになりました。
そうした考えを基に謄写版時代の手書き資料を研究しながらフォントを作っています。
漢字はJIS第二水準まで作っています。謄写版でヤスリの目に沿って文字を規則正しく書いていたように全ての文字骨格をラインに沿って設計。ガリ切り文字を再現するため丸ゴシックです。
2022年、草間京平による手書き文字、沿溝ゴシックを再現したフォントで謄写印刷を再現、謄写版時代の文字をオマージュしたフォント第一号「沿溝草間丸ゴシック」が暫定的に完成しています。
現在サイトに表示させている文字は、カナモジカイ、明朝活字由来の独自設計グリフに、独自開発ウェブフォントプラグインでマック、ウィンドウズ最小公倍数グリフ漢字を補完して高速表示させている仕組みです。ウェブ製作会社など向けに有償提供可ですので表示フォントに興味があればお問い合わせください。